昨日、白川和子様(奥様)より、白川義員先生がお亡くなりになったとの通知をいただきました。お仕事をさせていただいたことがあったので、お知らせいただいたのだと思います。
白川義員先生は、私の40年にも及ぶ仕事のキャリアの中で、最も強烈なインパクトを受けた写真家でした。
今から52年前私が一人旅をしていた1970年、ニューヨークの本屋で見た写集”HIMALAYAS”
よく見てみると、日本人の写真家である事を知り、当時、ほとんどお金を持っていなかったにも関わらず、後先を考えずにその場でこの写真集を購入しました。
推薦文:ヒラリー卿、アーノルド・トインビー、ダライ・ラマという豪華な本でした。
その後、”HIMALAYAS”を機会があるときに何回も見ていたことが影響したと思いますが
33年後の2003年、ある企画で白川先生との対談を提案したところ採用され、白川先生宅に電話をかけたところ偶然にも先生ご自身が対応してくださり、その企画が実現しました。
(後日わかったことですが、先生は仕事に関して全てご自身が対応されていたようです。)
京都大覚寺での対談の仕事を終えた後、先生のご希望で南禅寺の料亭での食事となり対談者との夕食に私も参加させていただきました。
先生がその料亭によく通われておられたそうで、料亭の亭主がご挨拶に来られました。
席上、ニューヨークで購入した写真集”HIMALAYAS”にサインをしていただきたいとお願いしたところ、直ぐに筆と硯を用意するようにお願いしてくださり、
40年越しにサインをいただくことができました。
先生の優しさを垣間見させていただきました。
南極大陸での撮影についてお話しいただき、その貴重な作品を企画ページに掲載させていただけたのは光栄でした。「シャッターを切る作業はほんとスーパーセントでしょうね。90〜95%は準備です」。
白川義員先生のご冥福をお祈りいたします。